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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)11657号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、金一〇一一万九五八〇円及びこれに対する昭和六三年一〇月一日から支払済まで年五分の割合の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金三一九二万九三〇六円及びこれに対する昭和六三年一〇月一日から支払済まで一か月金二六万五〇〇〇円の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告が、原告の隣地のビルの新築工事において地下を掘削する際に行つた被告の山留工事が不備であつたために、地盤沈下等により、原告所有の建物に損害が生じるなどしたと主張して、被告に対し、不法行為による損害賠償を求めた事件である。

一  争いのない事実

1  (原告)

原告は、別紙目録の建物(原告建物)を所有し、同建物に居住している。また、原告は、昭和六二年一〇月末日まで、その夫金秉翼とともに、原告建物一階において喫茶店を営業していた。

2  (被告)

被告は、建築請負工事等を業とする会社であり、昭和六二年四月ころから、原告建物の敷地(本件敷地)の南側隣地である東京都文京区《番地略》の宅地(本件工事地)上において、仮称後藤ビル新築工事(本件工事)を施工した。

3  (山留工事)

被告は、本件工事地を掘削するに当たり、親杭横矢板工法によつて山留工事(本件山留工事)を行つた。親杭横矢板工法とは、まず親杭(H杭)を掘削地と隣接地との境界に打ち込み、そのH杭とH杭との間に横矢板と呼ばれる板を入れて土留めをする工法である。

二  争点(原告の主張)

1  (原告の被害等)

(一) 原告は、被告の本件山留工事により、本件敷地の土砂が本件工事地側に流動し本件敷地に地盤沈下が生じたため、昭和六二年九月一〇日ころから同年一〇月末日ころまでの間に、原告建物の全体に不同傾斜、亀裂が生じるなどの被害を受けた。

(二) また、原告及び金(原告ら)は、原告建物の右被害のため、昭和六二年一〇月末日をもつて喫茶店営業を中止せざるを得なかつた。

(三) さらに、原告は、被告が本件工事を開始した昭和六二年四月から喫茶店の営業を中止した昭和六二年一〇月末日までの間、解体、掘削、杭打ち等による騒音及び振動のため、喫茶店の客から苦情を受けるなどの迷惑を被つた。

2  (被告の責任)

被告は、本件山留工事を施工するに当たつて土地を掘削するときは、土砂が流出するなどしないよう十分な山留工事をすべき注意義務があつたにもかかわらず、本件山留工事は、H杭の打ち込み深度及び各H杭間の間隔が不十分であつた上、H杭及び横矢板の材質が強度不足であるなどのずさんなものであつたから、被告には、右注意義務を怠つた過失がある。

なお、本件のように高度な技術を伴う工事においては、原告の損害と被告の過失との間の因果関係及び責任の立証の程度は被害者と加害者の社会的衡平を図るため蓋然性の証明の程度で足り、本件被害は原告建物の近接した本件工事地における本件山留工事が行われていた時期に発生したものであり、被告の施工した右本件山留工事そのものがずさんなものであつたことは前記主張のとおりであるから、本件被害と被告の本件山留工事との間の因果関係は蓋然性の程度に立証されており、被告は本件被害についての責任がある。

3  (損害)

原告は、次のとおり、合計三一九二万九三〇六円の損害を被つた。

<1> 建物揚げ方復元工事費用 一二四四万五七二六円

<2> 建物内装等補修工事費用 七五七万五〇〇〇円

<3> 営業損害 二九一万五〇〇〇円(ただし、昭和六二年一一月一日から昭和六三年九月末日まで、一か月当たり二六万五〇〇〇円)

<4> 復元工事期間転居費用 二二〇万円

<5> 建物傾斜被害調査料 三一万九五八〇円

<6> 現建物補修工事支出 八七万四〇〇〇円

<7> 騒音等迷惑料 七〇万円(ただし、昭和六二年四月一日から同年10月末日までの分、一か月当たり一〇万円)

<8> 慰謝料 二〇〇万円

<9> 弁護士費用 二九〇万円

第三  争点に対する判断

一  右争いのない事実及び《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

1  (本件工事)

(一) 被告は、昭和六二年四月ころから、本件工事地において、地下一階(一部は地下二階)、地上一〇階建ての鉄骨造ビル(本件ビル)を新築するため、本件工事の施工を始めた。本件工事地のうち、西側部分の境界北側には本件敷地があつて、本件敷地の南西角から南東角までの境界線全部が本件工事地と境界を接しており、本件工事地の東側部分は東側道路(本郷通り)に面している。

また、本件ビルの地下は、本件工事地の西側(本件敷地と境界を接している側)においては地下一階であり、東側(本郷通りに面した側)において、一部、地下二階となる部分があつた。そして、本件工事においては、地下掘削の深さは、本件工事地の西側(本件敷地側)においては地下約六メートルであり、東側(本郷通り側)において一部地下二階とする部分は地下約八メートルとする予定であつた。

(二) 本件工事地付近の地盤は、地表から約一メートル二〇センチが埋め土で、その下約六メートル弱までが関東ローム層であり、さらにその下は、約八メートルまでが粘土、約一〇メートルくらいまでが砂混じりの粘土であり、比較的堅くてくずれにくい地盤であつて、地下約六メートル程度の深さを掘削するに当たつては、地下水の流出を考慮する必要はなかつた。

2  (本件山留工事)

(一) 被告は、本件山留工事については親杭横矢板工法を採用したが、これは、本件工事地付近の地盤が水の出ない通常の地盤であつたこと等に基づき、山留工事の施工業者である山本建材リース株式会社(山本建材)に必要事項を計算させ、本件工事に必要なH杭の長さ、打ち込み深度、各H杭間の間隔、その場合に必要なH杭及び横矢板の強度等を算出し、被告における専門部である技術部において右計算をチェックした上、工事現場担当とも打ち合せて決定されたものである。

被告は、右計算に基づいた工事計画(工事計画)に従い、昭和六二年五月二八日から同年九月二八日ころまでの間、本件山留工事を施工した。

(二) 被告は、右工事計画により、親杭となるH杭の打ち込みを無振動無騒音の工法であるオーガー打ち工法(刃錐状のドリルとなつているオーガーであけた穴にH杭を刺し込み、セメントを注入して固定させる工法)によつて施工し、本件敷地に面する境界部分(本件境界部分)においては、長さ八メートルのH杭を一メートル二〇センチ間隔で打ち込む予定としていた。

ところが、被告は、工事開始当日(昭和六二年五月二八日)、原告建物が、その南側のほぼ全体において本件敷地南側と本件工事地北側との境界からはみ出して建てられ、原告建物南側の庇の一部(西側の一・八メートル)が本件敷地南側の境界線から約二五センチメートル本件工事地側にはみ出していることを発見し、本件境界部分の一部で計画どおりの場所に垂直に穴を掘ることができないことが分かつた。被告が改めて山本建材に必要な計算を行わせたところ、右はみだした庇部分を避けるためには杭の間隔を一か所だけ二メートルとする必要があつたが、その代わりに横矢板を厚さ五・五センチメートルにすれば足りるとの結果が出た。

そこで、被告は、右同昭和六二年五月二八日から六月三日にかけて、右計算に従つて山留用H杭を打ち込んだ。各H杭の間隔は、一か所で二メートルであり、その他の本件境界部分では一メートルであり、その他の本件境界部分では一メートル二〇センチないし一メートルであつた。また、本件工事地の掘削部分と原告建物との間の距離は、本件境界部分の西側では約六〇センチメートル、その東側では約八〇センチメートルであつた。

(三) 被告は、同年九月二日から掘削工事を開始し、掘削の深さが約三メートル五〇センチになつた地点で、水平切りばり工法(土留めした壁全体が倒れないように支持するための工法のひとつで、棒と壁を直角に突つ張つて支持するもの)によつて切りばりをかけ、同月九月ころ、第一段階の掘削工事を終了した。なお、被告は、工事計画に従い、切りばりのための腹起こし(切りばりをかけるに当たつて掘削した壁全体を壁と平行に鋼材で押さえること)に必要な鋼材や切りばりのための支持棒に必要な強度、規模等を詳しく計算し、これに基づいた材料を使用して右工事を施工した。

そして、被告は、同月一二日から二七日にかけて、第二次の掘削工事を開始し、同月二八日に掘削底にコンクリートを打設して本件山留工事を終了した。

(四) 山留工事が施工されるときは、土圧により、杭がある程度たわんでくることは避けられず、本件山留工事においても、工事計画により、およそ四ミリメートルのたわみが出ることが計算上予想されていた。そして、このような計算上の数値と現場の状況とは必ずしも一致しないことがあり得るため、工事開始後、現場において杭の移動を測定することが必要とされていた。被告は、第二次の根切り工事が開始されたころである右同昭和六二年九月一二日ころから、ほぼ毎日、五か所の測定地点において、杭のたわみを観測した。

その結果、右五か所の地点のうち本件境界部分にある二か所の測定地点では、九月一二日から同月一六日にかけて、たわみの最も大きいところで本件工事地側に約五ミリメートル程度のたわみが観測されたに過ぎなかつた。

(五) また、山留工事終了後のH杭の処理の仕方としては、H杭を抜く場合と埋め戻す場合があるが、本件山留工事においては、被告は、騒音等により近隣に迷惑をかけることを考慮して、工事終了後はH杭を抜かずに埋め戻すこととした。そして、通常、H杭を埋め戻す場合はH杭が地面から出ている部分を焼き切るのであるが、本件山留工事においては隣接している原告建物が木造建築であり本件境界部分にも近接していたため、右のようにH杭を焼き切ることとすると火災発生の危険があつたことから、被告は、予めH杭の上端が工事終了後の地面レベルまでくるように打ち込んだ。なお、被告は、H杭の打ち込み後、各H杭の上端を連結して補強するような工事は行わなかつた。

そして、被告は、本件境界部分と原告建物との間の土地を原告建物西側にある工事作業員の詰め所への通路として使用するため、H杭の上端に単管を取り付けて右通路の手すりとなるようにし、工事終了後はこの単管のみを取り外せばよいようにした。なお、本件工事地は、西から東に向かつて低くなつており、西側と東側で約三〇センチメートルの高低差があつた。被告は本件工事地を東側のレベルに合せて整地したため、本件境界部分では、本件敷地と本件工事地との間に約三〇センチメートルの高低差が生じた。そのため、被告は、右通路部分は本件敷地側の高さに合せて埋め戻して通路とした。

3  (本件工事前の原告建物の状況等)

(一) 原告は、昭和三六年一二月一八日ころ、築後七ないし八年であつた二階建ての建物を購入した。原告は、昭和三八年九月ころ、右既存の建物の周囲に約六〇センチメートルの幅の増築を行い、また、一、二階ともはりや柱を補強するなどの改築をした上、夫金とともに右建物に居住し始めたが、さらに、昭和四五年三月ころ、右建物に三階部分を増築して現在の原告建物とした。

(二) 被告は、本件山留工事開始前である昭和六二年四月二七日及び同年五月一日に原告建物の周囲を検分したところ、原告建物の南東角の部分では、外壁がはがれ落ち、内壁も腐食しているような状態等が見られた。しかし、被告が、同年五月七日及び同月八日に再び原告建物の検分をしたところ、原告建物の南東角の部分から南側壁面にかけて波板による覆いがされ、補修が行われた形跡があつた。そして、右当時における検分により、原告建物の南側(本件工事地側)では、南東寄りの部分において建物が沈下している様子が見られ、右部分の基礎コンクリートには亀裂が入つており、また、基礎コンクリートと外壁とのつなぎ目にも亀裂が入つている状態が見られた。

4  (原告らと被告の交渉等)

(一) 原告らは、本件山留工事の施工中である昭和六二年九月一〇日ころ、原告建物北側の喫茶店の出入口ドアが開閉しにくくなつたことに気付き、金がこれを修理をした。しかし、その数日後には、右出入口ドアのほか数か所のドアも開閉が困難になつたので、原告らは、被告にその旨を申し入れた。被告は、同月一七日ころから二四日ころにかけて、原告らの申入れに応じて右出入口ドア等の補修をした。

原告らは、その後も数回にわたり、同年一一月ころにかけて、被告に対してドアの開閉が困難になつた等の申し入れをしており、被告は、これに応じて数回の補修工事を行つた。

また、被告は、同年一一月ころ、原告らに対し、原告建物の基礎部分の補強工事計画を示したが、原告らはこれに応じなかつた。

(二) 原告らは、同年一〇月末ころ、原告建物一階喫茶店の床を上げて床下を調査したところ、建物の中央西側部分及び南東部分に亀裂及び陥没が発見されたとして、その旨を被告に申し入れた。そこで、同年一一月二日ころ、被告の工事関係者が右状況を検分したところ、中央西側部分では、コンクリートの床が三センチメートル程度下がつていたが、床と壁との間には隙間を調整するための木材(調整キャンバー)が差し込まれていた。また、南東部分のコンクリート床にも数か所に亀裂が見られたが、床に貼つてあつたシートの裏面に床の亀裂に沿つてほこりがたまつており、亀裂が生じてから相当時間が経過しているような状況であつた。

(三) 原告らは、本件工事及び本件山留工事に伴う騒音等について、本件山留工事施工以前に「音がうるさい。」と述べた以外には、本件工事期間中、被告に対して特に苦情等を述べたことはなかつた。

5  (原告建物の状況)

原告は、本件山留工事が終了した後である昭和六三年三月末ころから四月初めにかけて、一級建築士今井昇に原告建物の傾斜を測定させた。その結果、原告建物は、全体的に南東方向に向かつて傾斜していることが分かつた。

6  (本件工事地周辺の建物の状況)

本件山留工事の終了した後である昭和六二年一〇月ころ、本件工事地の南側(原告建物と反対側)に隣接する山崎美容院において排水管の損傷が生じ、また、本件工事地の北東側(原告建物の東隣)に隣接する岡本薬局において下水道管損傷等が生じ、いずれも被告において補修工事を行つた。

もつとも、本件工事地周辺の建物等の顕著な被害状況は、原告建物を除いては、右の二件程度であつた。

二  争点1(原告の被害状況等)について

争いのない事実及び前記一に認定した事実によれば、本件山留工事においては、原告建物から近接した距離でH杭の打ち込み、地下約六メートルないし八メートルの掘削等の周辺の地盤に影響を与えると考えられる工事が行われたこと、原告建物の傾斜は本件工事地に面する南東方向に生じており、本件山留工事が開始された数日後から原告建物の一階喫茶店出入口ドア等数か所のドアの開閉が困難になるなどの被害が生じたこと、被告は、原告らの申入れに応じて数回にわたり右ドア等の補修を行い、原告建物の傾斜を補修するための工事計画書を示したこと、本件工事地の南側及び北東側に隣接する建物にも排水管損傷等の被害が生じ、これらの損傷について被告が補修したことが認められ、これらの事実を総合すると、原告建物には、本件山留工事が原因となつて、ある程度の傾斜、沈下を生じ、出入口ドアの開閉が困難になるなどの被害が発生したものと認めるのが相当である。

もつとも、証人金秉翼は、本件山留工事による原告建物の被害状況は前記認定の程度にとどまらず、原告建物南東部分の一階喫茶店の床に陥没及び亀裂が発生し、平成二年一月二八日には建物の外壁が一部脱落し、他の部分の外壁もいつ脱落するか分からないような状態であつて、原告らは日常生活において大きな危険と恐怖心を感じている旨の証言をしており、写真によれば、原告建物には右証言のような床の陥没及び亀裂や外壁の脱落が生じていることがうかがわれる。しかしながら、一の3で認定したとおり、原告建物は、その本体部分は築後四〇年近く経過し、原告らが増築した部分も増築後三〇年近く経過したものであり、本件山留工事の施工前の時点において既にその南東部分に建物の沈下がうかがわれるような状況や基礎コンクリート部分の亀裂等が見られたものであるから、右証言のような床の陥没や亀裂等は本件山留工事以前から既に生じていたものであるとの疑いがあり、外壁の脱落も本件山留工事の終了した数年後に発生したものであつて、右の陥没等が本件山留工事のみによつて生じたものであるとはいい難い。そうすると、証人金の前記証言部分を採用することはできず、他に原告建物に本件山留工事を原因として前記認定を超えるような被害が生じていることを認めるに足りる的確な証拠はない。なお、証人金が原告建物の傾斜の程度が日常生活に多大な危険と恐怖心を感じるほどのものであると証言する点については、右証言を裏付ける具体的な証拠もなく、これを信用することは困難である。

また、証人金は、H杭が打ち込まれた後の本件境界部分と原告建物との間の距離が西から東にかけて広がり、その差が約二〇センチメートルも生じ、これは本件敷地の陥没がひどい状態を示している旨の証言をする。しかしながら、本件境界部分は、もともと原告建物と平行ではなく、原告建物との間の距離は東側部分の方が広かつたことが認められるから、証人金の証言の右の部分を採用することはできない。

さらに、証人金は、本件山留工事はH杭の上端に細い鋼材を補充するような雑なものであつた旨の証言をするが、前記一の2の(五)のとおり、本件山留工事においては、木造建物が隣接していたため、工事終了後にH杭を焼き切らないで済むようH杭上端が工事終了後の地面レベルまでくるように打ち込み、これに単管を溶接して通路部分の手すりとしたものであつて、右の単管部分はH杭自体の強度とは無関係なものであるというのであるから、証人金の右証言部分もまた採用することはできない。

三  争点2(被告の責任)について

本件工事は、前記一の1、2のとおり、本件山留工事は、本件境界部分に長さ八メートルのH杭を打ち込んだ上、原告建物から六〇ないし八〇センチメートル離れた本件工事地部分を地下約六ないし八メートルまで掘削して行うというのもであり、しかも、被告は本件工事施工前に原告建物の状態を一応調査し、原告建物が相当程度にいたんだものであること等を把握していたのであるから、建築業者である被告としては、本件山留工事の施工によつて本件敷地の地盤に影響を及ぼし、原告建物に沈下や傾斜等の被害を生じさせるおそれがあることを予測し得たというべきである。そして、そのような場合には、被告は、工事施工者として、原告建物の状態等を十分に調査した上、原告建物の沈下、傾斜等が生じることを防止するために、原告建物の前記のような状態に即応した本件敷地の地盤強化や万全を期した山留工事をするなどの適切な措置を講じるべきであつたのに、これを怠り、本件境界部分に前記のようなH杭及び横矢板による本件山留工事を施工したのみで、他には原告建物の状態を念頭においた措置をとることなく本件工事を施工したものであり、そのため、原告建物に前記被害を生ぜしめ、損害を与えたものであるから、被告には右損害を賠償する責任があるというべきである。

なお、原告は、因果関係の立証について蓋然性の証明の程度で足りると主張するが、原告の損害と被告の行為(本件山留工事)との間には右認定のとおり相当因果関係が認められるから、原告の右主張を採用するまでもなく被告には責任がある。

四  争点3(損害)について

そこで、原告の損害について検討する。

1  (原告建物の補修工事費用等)

原告は、原告建物に生じた被害を補強するためには原告建物全体を浮揚し、基礎部分を造り直す揚げ方復元工事によることが必要であり、また、右工事には喫茶店の内装工事が含まれていないから、内装工事費用も本件山留工事と相当因果関係を有する損害であると主張する(第二の二の3<1>、<2>、<4>)。

しかし、《証拠略》によれば、右揚げ方復元工事及び内装工事の費用は昭和六三年当時で合計二〇〇〇万円程度であつたのが、現在では合計二四〇〇万円近くを要することが認められ、しかも、右工事によるときは、工事期間中、原告建物の使用が不可能となるため原告らが他に転居する必要があり、そのための費用も二〇〇万円程度はかかること(右合計二六〇〇万円)、右工事及び内装工事には、建築後相当程度の年月を経過した原告建物の老朽化した部分を右工事の機会に取り替えるための費用も含まれていることがうかがわれること、また、前記認定の程度の原告建物の被害を補修するためには、本件敷地を掘削して原告建物の基礎部分に樹脂アンカーを打ち込むなどの方法によつても可能であること、他方、原告建物と同程度の建物を新築するとすれば、その建築費用はおよそ一九〇〇万円程度であり、したがつて、原告の主張するような工事方法によるときは、原告建物全体を建て替えるよりも多額の費用を要することが認められる。そして、前記のように原告建物が既に相当程度の損傷を生じているものであることも考慮すると、原告建物に生じた程度の被害を回復するために、右のような新築工事費を上回る費用を要するような工事を前提として損害額を算定することは相当ではないといわざるを得ない。そうすると、このような場合には、原告建物の被害の程度、原告建物の老朽化の程度及び耐用年数、原告が既に行つた補修工事に要した費用、前記一の6に認定した本件工事地周辺の建物等の被害状況の程度等について総合考慮した上、原告建物に生じた被害を回復するための費用として本件山留工事ないし被告の責任と相当因果関係にあると認め得る範囲で、原告に生じた損害の額を定めるのが相当というべきところ、本件においては、前記二六〇〇万円の三割に該当する七八〇万円の範囲で相当因果関係があるものと認めることができる。

次に、《証拠略》によれば、原告は本件建物の傾斜の状況の調査のために、少なくとも三一万九五八〇円を出費したことが認められる(第二の二の3<5>)。右調査は、原告が損害を回復するための訴訟準備行為として必要であつたものとみるべきであるから、その調査費用は相当因果関係の範囲にある損害と認められる。

また、《証拠略》によると、原告は、昭和六二年一一月ころ、本件建物内の台所、風呂場等を移設する工事をしたことが認められるが、原告建物の被害状況は前記認定のとおりであり、右のような移設工事が必要であつたことを認めるに足りる証拠はないから、右工事費用は相当因果関係の範囲にある損害とは認められない(第二の二の3<6>)。

よつて、原告の主張する前記の損害は、八一一万九五八〇円の限度で理由がある。

2  (営業損害)

原告は、原告建物が陥没、傾斜したため、来店客に危険が生じるとして、昭和六二年一〇月末日をもつて喫茶店の営業を中止し、右喫茶店営業による収入は平均して一か月二六万五〇〇〇円程度であつたとして、営業損害の発生を主張する(第二の二の3<3>)。

しかしながら、原告建物の損害は前記認定の程度であり、喫茶店の店内においても建物が傾斜していることが分からない程度であるというのであつて、原告建物が喫茶店の営業が不可能となる程の危険な状態にあつたということは困難であるから、右喫茶店の営業中止による逸失利益については相当因果関係の範囲にある損害であると認めることはできず、原告の右主張は採用できない。

3  (騒音等迷惑料)

原告は、本件工事の施工による騒音による迷惑料として一か月一〇万円、合計七〇万円の損害が生じたと主張する(第二の二の3<7>)が、原告らは、隣同士のことであるからあまり文句も言えないと考え、本件工事の施工前に行われた説明会に出席することもなく、被告関係者が茶菓を持参して挨拶に訪れたのを受け取つたのみで、本件山留工事施工以前に「音がうるさい。」と述べた以外には、本件工事施工中にも、騒音等について特に苦情等を申し入れたことはなかつたというのである。そうであれば、原告は、本件工事に必然的に伴うと予測された騒音等については、これを予め了解しており、かつ、実際にも受忍限度を超える騒音等は発生しなかつたものと認めるのが相当である。そして、他に本件工事によつて受忍限度を超える騒音等が生じたことを認めるに足りる証拠はない。よつて、原告の右請求は認められない。

4  (慰謝料)

原告は、原告建物の沈下等に伴う慰謝料として二〇〇万円相当の損害賠償を主張する(第二の二の3<8>)が、原告建物に沈下及び傾斜等が生じたことに対する原告らの精神的損害についての慰謝料は、前記認定にかかる原告建物の被害の程度、補修に要する費用その他一切の事情を斟酌すると、一〇〇万円とするのが相当である。

5  (弁護士費用)

《証拠略》によれば、原告が、本件訴訟代理人らに本訴の追行を委任し、その費用の支払義務を負担したことが明らかであるところ、右費用のうち、本件と相当因果関係を有する金額は、本件事業の難易度、認容額、審理経過等に鑑み、一〇〇万円をもつて相当と認める(第二の二の3<9>)。

五  以上の次第であるから、原告の本訴請求は、一〇一一万九五八〇円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和六三年一〇月一日から支払済まで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余の請求は棄却する。

(裁判長裁判官 宮崎公男 裁判官 井上哲男 裁判官 河合覚子)

《当事者》

原告 川端節子

右訴訟代理人弁護士 高木伸学 同 井口英一

被告 清水建設株式会社

右代表者代表取締役 吉野照蔵

右訴訟代理人弁護士 田中 学

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